2010年9月16日木曜日

百獣の王

百獣の王

西欧では百獣の王はライオン!..東洋では百獣の王は虎!
なぜ東洋では百獣の王は虎なのか恐らく東洋では昔ライオンいなかったからです
もう一つ原因は虎の額に「王」という文字が描いているからです 
ほんとうだよ、嘘と思うなら動物園で確認してね
ある昔話、とても遠い昔では十二支の中にはライオンがいたけど、虎がいなかった。当時のライオンは非常に残虐で評判が悪かった!そのため神様はライオンを十二支の中から外そうと、その時無名である虎が名乗りを出たのだ。そして、虎が神様とある約束をしたのだ、もしライオンを倒したら自分を表彰してくださいと。神様の承諾を得て虎がライオンに向かったのだ。ライオンには兄弟がいたのだ、それは熊と馬です。虎の勇猛と武功のもとライオンさん兄弟が倒されたのです。三つを倒したので戦功を「三」と記録した。しかし、間もなく海の化け物亀が人間に害をしたので虎がまた亀と戦って、最後に噛み殺したのだ。それで虎の戦功をもう一つ追加されて「王」と記録した。人間たちが虎に感謝し、神様も大喜びし、ライオンの代わりに虎を十二支に入れたのだ
今日は戦国武将の中で虎と呼ばれる男を紹介しよう
上杉謙信(うえすぎ けんしん)戦国時代の越後国の武将・大名。後世、越後の虎と呼ばれた。
上杉謙信は、幼名を虎千代といい、元服して長尾景虎と称した。天文十七年に兄晴景と争い、守護上杉定実の調停で長尾の家督を譲られ春日山城主となった。以後、戦国動乱の時代にあって、紺地日の丸、白地に毘字の旗幟をなびかせて、北陸・信濃・関東に出陣を重ねた。 宿敵武田信玄との五度にわたる「川中島の合戦」は戦国時代の合戦中の白眉として名高い。 --->永禄四年、上杉憲政から家を譲られ関東管領職に就き、上杉政虎、ついで輝虎と名乗る。のち出家して謙信を称した。天正四年、本願寺と和睦し、織田信長との同盟関係を断ち、はるか遠く中国筋の毛利氏と連携して織田信長挟撃を策した。翌年九月織田方の能登七尾城を陥し、ついで信長軍を加賀手取川に撃破した。しかし、翌天正六年三月、関東への陣触れをした直後、病気で倒れた。享年四十九歳。
謙信を記念するためにできた祭りがあります。米沢上杉祭り
米沢上杉祭りは、藩祖である上杉謙信を祭神としている上杉神社と、二代目景勝、十代鷹山を合祀している松岬神社の春の大祭で、5日間行われるものです。会場となる松が岬公園にはたくさんの露天が出て、大勢の人で賑わうお祭りです。

0 件のコメント:

コメントを投稿